文房具の神様

土曜と火曜の夜に、救援物資の荷造りを手伝った。

発端は、会社のトイレ。ばったり会った別部署のオネエサンに、「神社で働いている高校の友人Pが、トラックで救援物資を運ぶので、私も荷物を送ったんだー」と話したこと。彼女が「文房具がたくさんあるんだけど要らないかしら?」と言う。

話を聞いてみると、ご実家の文房具屋さんを廃業してまだ商品があるけど、量が多いのでどこかに送るのも難しいという。お母様が亡くなったそうだ。「取りに来てもらえるなら…」というので、早速Pに連絡したところ、来てくれることになった。
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お店のシャッターを開けてもらったら、これがもう宝の山。学校に隣接した文房具屋さんで、私の思い出の中の文房具屋さんと同じ。「母がいない寂しさと、三代続いた店を閉めた申し訳なさで、1年以上整理できずにいたの」という彼女の言葉を聞きながら、段ボール箱に商品を詰めていく。文房具の匂いに切なさが入り混じって、時間の感覚が麻痺しそうな感じだった。
ノートは7箱以上だったか、筆記用具、貼り付けるもの(糊、セロテープ、ボンド)など、種類別に箱詰めする。閉店前にセールをしたそうだけど、折り紙、虫めがね、方位磁石、なわとび、そろばん・・・、学校の文房具屋さんらしく、ホントに何でも揃ってる。行政関係に「必要ないか」と相談したそうだけど、「数が合ってないと…」と言われたらしい。消しゴムと鉛筆とノートが100セットありますって言えないとダメなのかしらね。ちょっとバカみたい。版画に使うバレンなんて卒業以来初めて見たかもしれない。
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土曜日の夜に20箱以上詰めたけど、まだまだ商品はたくさんある。Pは「できるだけ早く片付けてあげたい」と、片道2時間近くかけて火曜の夜も来てくれた。私は、彼女と一緒に会社からあわてて直行。救援物資用に、と言うよりも、お店の片付けのほうが主だったかな。女性一人ではなかなか進まないだろうと思ったんだろう。Pって優しいんだなぁ。この日は同じく高校の同級生のSくんも来てくれてお手伝い。さすが元落研、私よりよく喋る。口より手を動かせよ私たち。

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「ここにいつも母が座っていたのよ」という彼女。80歳で亡くなる数年前まで現役だったそうだ。お店を片付けることは、とてもとても寂しいんだろう。
私は箱詰めしながらずっと考えていた。

トイレでばったり会うのは珍しいこと。そこで二人っきりだったこと。トイレで立ち話するのが苦手な私が、たまたまPの話をしたこと。偶然と言ってしまえばそれまでだけど、彼女の亡くなったお母様に「役立ててあげて」と言われたような気がしてならないのだ。
「郵送先を知っている」のではなく、直接Pがトラックで運んでいることが、私にとっては重要だった。確実に渡してもらえるという安心感。だから彼女にも協力をお願いできた。

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実際に私がしたことは日程調整と箱詰めの手伝いだけ。
でも思うんだ。お母様の大切な文房具と、彼女の想いと、Pの行動と、被災地の皆さんを、結びつける役割は、私がしたんだって。それは重要なことだったって。
トイレで彼女と会ったとき、ふと救援物資の話をしようと思ったのは、文房具の神様が人差し指で私をつついたからだと、今はかなり真剣に信じている。

※2011年4月30日Facebookノートに掲載したものです

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ちょっちょです。
4人の子どもと4人の孫に恵まれましたが、パートナーはおりません。たくさん笑って、たくさん泣いて、たくさん楽しんで、たくさん悩んだ波瀾万丈な人生。まだまだ面白がろうと思っています。
私が感じていることが、どなたかの心に響けば幸せです。

※万覚帳(よろずおぼえちょう)とは、まだ余白がある帳面のことです。雑記帳、メモ帳