9月の雨

葬儀の日は雨が降っていた。

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31年前の9月19日、家の電話に出るとチャチャマのお母さんの声がした。
「ゆみちゃん、お母さんが倒れたの。意識がなくて救急車で運んだの」

すぐに来られる?と聞かれて、問い返した行き先は群馬県の松井田。社員旅行で行った軽井沢からの帰り道だった。

当時、2歳2ヶ月の長男と、7月末に産まれてまだ2ヶ月にもなっていない長女を連れて、どうしたらいいのか。仲の良いシーバのオバさんに、一緒に行ってくれるよう頼んで、その頃はまだ関係が良好だった夫の運転で病院に向かった。

「ママのことだもの、私たちが行ったら『あら、わざわざ遠くまで悪かったわね』なんてケロッて言うんじゃない」「そうだよねー、あんなに元気なんだから、倒れたって言ってもたいしたことないよね、きっと」と、
車の中は楽観的な話でおおいに盛り上がり、
会ったら文句言わなくちゃね、と私とオバさんは笑いあった。

病院に着くと、チャチャマのお母さんが待っていてくれて、
私の顔を見るなり、泣き顔になった。

前日の晩も元気でたっぷり呑んだこと、
朝早く起きてみんなでサイクリングに行ったこと、
みんなは一周でやめたけど、ママは「もう一周行ってくるわっ!」と言って本当に元気だったこと、
バスに乗ったあと、どうも頭痛がとれないと言っていたこと、
「いつもはノーシン飲むとすぐ効くのに、、おかしいわ」と言って目をつむっていたこと、
一瞬グッと吐いたと思ったら、もう意識が無かったということ、
救急車を呼んでこの病院に運ばれたということ、

旅行のバスを降りて、私の到着を待っていてくれたことへの御礼を言って、
病室へ行って、
いろいろ機械がくっついた母を見て、
お医者様の話を聞いて、

なんだろう、これは。と思っていた。

まだ48歳で、持病もなく血圧も高くなく、人一倍元気な母が、

なんだろう。

お医者様の口から出る、
脳出血を起こし助かる見込みはない、
いま身体があたたかいのは生命を維持する装置をつけているからで外せば心臓も止まる、という言葉を、まっすぐ受け止めるしかなかった。

そうゆうこと?

埼玉の伯父と宮崎の伯父伯母に連絡して、病院のそばの旅館を予約して、鹿児島の夫の父にお金を貸してもらえるかお願いして、
ご飯を食べ、長男を寝かせて、

少し薄暗い旅館の布団の上に座って、母乳をあげて、

「こんなときでも、母乳、とまらないんだな」と思ったら、

人生かけて女手一つで育ててきた一人娘が、母親がもう助からないって時に、母乳がとまるほどのショックを受けないんだな、と思ったら、

つらかった。

母の命が消えていくことに対してよりも、母がいなくなるのに私や娘は生きていくしかないんだということが

なんだかつらかった。

冷たい娘でごめんね、と思った。

その後のことは記憶が前後してしまったり、曖昧になってしまったりで、
だからこそこうして一度書き留めておこうと思ったんだけど、

あのときのあの思いは薄くはならないなぁ。

伯父伯母が到着し、まだ温もりはある母の手を握りながら大泣きに泣いてるのを見て、
まだ温かいうちに間に合って良かったと安堵したこと、
そういえば私はまだこんなに泣いてないと、やけに冷静であったこと、
伯父伯母も来たので、もう家に連れて帰りたいと、装置を外してもらったこと、
装置を外してもなかなか心臓が止まらず、お医者様に「心臓が強いんですね」と驚かれたこと、
その日が母の命日になったこと、

病院の看護婦さんたちが、こんな見知らぬ土地でお若いのに気の毒だと言って、心をこめて美しくお化粧してくださったこと、
支払いを済ますとき「4万円です」と言われ、人一人亡くなっているのに!と思い、伊丹十三監督の『お葬式』のワンシーンを思い出し、不謹慎ながら笑ってしまったこと、

旅先で倒れてさぞ家に帰りたかっただろうからと、葬儀は自宅でやることに決めたこと、
互助会にお願いして来てもらったお坊さんが陽気で面白かったこと、
母の勤め先の店長が葬儀委員長を引き受けてくれ、いいご挨拶をいただいたこと、

『歌を愛し、酒を愛し、人を愛した人でした』
って、
演歌歌手みたいだけど、ピッタリだと思った(笑)。

私はといえば、母が可愛がっていた孫(長男)をせめてカッコ良くしましょうと、
友達のひとみに頼んで、伊勢丹で小さな白いワイシャツと蝶ネクタイを買ってきてもらって、
いろいろやり遂げた気持ちになっていた(笑)。

あの日、
葬儀の時、
どなたの言葉だったのかはまるで覚えていないけど、

「お彼岸に亡くなるというのは良い人生だったということですよ」とか、
「若いのが勿体無いだけで、楽しい時間の後でお友達と一緒の時に亡くなられて幸せよ」とか、
「長患いになってゆみちゃんに迷惑かけるなんてことにならなくて、きっとホッとしてるわよ」とか、
「まだ若いけど誰よりも充実した人生だったわよ」とか、
「孫を二人も見ることができてよかったわね」とか、

たくさん言葉をかけていただき、
その言葉たちで私の心は少しほぐれることができた。

母を可哀想だと思わずに済むということは、
有難いことです。

※2016年9月24日Facebookノートに掲載したものです

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ちょっちょです。
4人の子どもと4人の孫に恵まれましたが、パートナーはおりません。たくさん笑って、たくさん泣いて、たくさん楽しんで、たくさん悩んだ波瀾万丈な人生。まだまだ面白がろうと思っています。
私が感じていることが、どなたかの心に響けば幸せです。

※万覚帳(よろずおぼえちょう)とは、まだ余白がある帳面のことです。雑記帳、メモ帳