【い】家と彩りと石丸幹二

思い込みはもったいない

私が石丸幹二さんの大ファンなことを知っている人は多いが、ファン歴はまだ5年と、そう長くはない。
2013年のワイルドホーンのコンサートで初めて生の歌を聴き、まず卓越した歌唱にしびれた。そのうえ、一緒に出演していた鹿賀丈史さんへの自然な気配りがとても上品で、その立ち居振る舞いにクラクラしてしまったのだ。それからというもの、ずっと熱く応援させてもらっている。

実は、幹二さんが劇団四季のトップだったころは好きではなかった。「見た目が良いだけで実力はそうでもない」との勝手な思い込みがあったのだ。私は長らく劇団四季友の会の会員なのだけれど、在団時に観たのは『オンディーヌ』のハンスのみ。

今考えると、ずいぶんもったいないことをした。

末っ子が「石丸幹二さんの『シアターへようこそ』ってラジオがすごくいいよ」と教えてくれた時も結局聞かなかった。思い込みにとらわれていた。

題名のない音楽会の石丸幹二さんと松尾由美子アナウンサー

辛かった理由

思い込みといえば、川越に引っ越すときに味わった辛さも、それによるものが大きかったかもしれない。

引っ越しに至る経緯はおいおいどこかに書くことがあるかもしれないが、とにかくとにかく辛い出来事だった。その中でも特に私を苦しめたのは、50年近く住んだ家を出なければいけないということ。

引っ越しは誰にでも起こりえることで、引っ越してしまえば“住めば都”になるだろうことも分かっている。

でも、それでも、

それは頭の中で分かっていることであり、感情としてはとても受け入れられるものではなかった。

この家に住んでいない自分には価値がないと信じていた。古く小さな家でも、自分自身にとってアイデンティティそのものだったからだ。

家の前の幼稚園児のわたし

気づいたら外せばいい

今でも、「幹二さんのあの舞台、観ておきたかったなぁ」と、思い込みによって捨ててしまったチャンスを後悔する。

引っ越しについては、さまざまな要因が組み合わさっているので今でもスッキリしたとは言えないが、もし可能ならば、あのころの私に「どこに住んでも私は私のままだよ」と言ってあげたくなる。そう受け止めていたら、少しは楽だったろうと思う。

でも、まあ、過ぎてしまったことは、もう仕方ない。
過去は過去。

思い込みに気づいたら、その時々に外していけばいい。

これからの毎日

決めつけることなく、いつも新鮮な気持ちで物事にあたることができたら、
毎日はとても楽しいのではないだろうか。

知らなかったことはもちろん、知っていることの中にもまだまだ発見はあるだろう。
自分の見方を変えるだけで新しい発見が手に入るなんて、考えただけでワクワクする。

どんな風に生きるかは、人それぞれの自由だけれど、
せっかくこの世に生を受けたのだから、彩り豊かな毎日を送りたい。

私はそう思う。

試行錯誤しながら前向きに行動する まり子さん。最近のお気に入り

ちょっちょ
「い」の言葉選びを悩んでいた私に、100以上の単語を投げ続けてくれた子どもたちと孫に感謝。

2 件のコメント

  • 50年住んだ家を出る思いは後に綴られるのかも知れませんが、なんとなく理解したような。
    自分は親との思い出や、昭和34年ぐらいに大変な時代に住んだ家をつぶすことはやはり悲しかった。
    現在はいとこ家族に住んでもらい生かしてます。
    いずれこの家をさら地にする時が来るでしょう。
    多分、泣きますね。(笑)
    このブログに出会い、ってかあなたを知ることになり良かったと思います。
    (ˊᗜˋ)あははー(笑)
    多分これから自分はどこにいてもわけのわからない心理にイライラしなくなると思うからであります。
    あなたを知ることになり、理解できたから良かった。
    耳を澄ます…日課になり、あなたが益々大好きになりました。
    これは前と違う…ん?(笑)
    不思議な縁かな?これからも耳を澄まさせていただきます!
    いいかな?| 壁 |д・)チラ(笑)

    耳を澄ますであなたに贈ります。
    元気が出る50話からですが……。

    耳を澄まして聴く

    大好きな風景をひとつ挙げろと命じられたら、子どもたちの登校する姿、と言うだろ。
    朝の光がみなぎる田の道を、子どもたちが元気よく歩いて行く。
    中省略
    新学期スタート、学級通信には、詩人、谷川俊太郎さんの、「みみをすます」という詩が掲げられていた。

    みみをすます
    きのうのあまだれに
    みみをすます

    みみをすます
    いつから
    つづいてきたともしれぬ
    ひとびとの
    あしおとに
    みみをすます

    命のささやきに耳を澄ましている姿を見たように感じた。

    先生が教壇を離れると編集人になってた。
    その中の開発調査会発行で、名前の意味は、中世から十九世紀までのヨーロッパで広範囲に認められた民族的現象の一つ。
    原語では「CHARIVARI」と書く。
    「どんちゃん騒ぎ」といったことらしい。
    ドンちゃんと盛大に騒いで、地域を発展させて、分権、自立を果たそうというねらいなのである。中省略
    どんちゃん騒ぎなら自分も大好き!

    みみをすます
    いちまんねんまえの
    あかんぼの
    あくびにみみをすます

    あの大沼先生の学級通信に引用されてたのと同じ、谷川俊太郎さんの詩集「みみんすます」の一節を、少女は電車のなかで朗読していたのだ。
    受験生の話を聴きながら、その車内の光景と空気を想像した。
    耳を澄ますと、車内にいるいろいろな人びとの呼吸が、命の鼓動が、遠く伝わって来るような気分になった。
    不意に目頭が熱くなった。

    あの朗読少女は、どんな娘さんに成長したんだろう。
    わたしだって、耳を澄ませばまだ何かを聴けるかもしれない。

    元気が湧く話しより
    なんとなく少女がyumiに似ているようで引用しましたマル(笑)

    引き続き購読させていただきます。
    頑張って下さい。
    ありがとう!

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    ちょっちょです。
    4人の子どもと4人の孫に恵まれましたが、パートナーはおりません。たくさん笑って、たくさん泣いて、たくさん楽しんで、たくさん悩んだ波瀾万丈な人生。まだまだ面白がろうと思っています。
    私が感じていることが、どなたかの心に響けば幸せです。
    Ally(アライ)であることを表明しています。

    ※万覚帳(よろずおぼえちょう)とは、まだ余白がある帳面のことです。雑記帳、メモ帳