家族揃ってゲーム好き
長男が幼稚園時代は、遊びに来た子たちに「マリオの先生!」と呼ばれて披露していたほどゲーム好きな私。それが影響したのか、子どもたちもゲームやクイズが大好きである。ただ、ジャンルは若干違っているようだ。
知恵の輪が得意だったのは長男と末っ子で、不思議とルービックキューブもこの二人がよくやっていた。
最近は2人目の孫が百人一首が上手くなって、大人が総出でかかっても叶わなくなっている。小学校時代に得意にしていた末っ子が悔しそうにしていたので、正月に集まったときにリベンジするかもしれない。大勢いると面白いなと思う。
一人っ子の私にとって、母の里に行く一番の楽しみは従兄妹たちとのトランプだった。小学6年生のとき、母に「年下の従妹には加減をしてあげなさい」と諭されて、ムッとしたことを覚えている。
競争心はあまり高くないので勝ち負けはどうでもいいのだが、ゲームに手を抜くというのが出来ない。ドンとぶつかってパッと散りたい。潔いのだか考えが浅いのかはよく分からない。
キラキラした瞳はどこに
ドン・パッなタイプの私が、コツコツ系のバイトをしたことがある。広げられた地図の等高線を、色を少しずつ濃くしながら塗りつぶしていくもの。ホールのような場所に20人くらいが集められ、床に這いつくばりながら三日間行った。
伊勢丹を辞めて職業訓練校に通っていた二十歳くらいのことだ。
そのバイト先の人が私に「昨日、家に帰って母に『すっごく目がキラキラしている子がバイトに来たんだよ!』って言ったんだ」と言う。「私のことですか?」と聞くと「うん。言われるでしょ?」と真顔で答える。
この人が私の知人と知り合いで、その関係でバイトに入ったので、下心的なものは何もないのは分かっている。純粋にそう思ってくれたようだ。
それきり会う機会はなかったが、5年後、この共通の知人の結婚式で再会したとき、
「あ、もうキラキラしてないんだね」と言われた。ニコニコしていたので、深い意味はないらしい。
仕方ないじゃない、毎日忙しいんだから、、、と、心の中で言い訳をしながら、ちょっと寂しい気がした。キラキラしていた自分をもっと大切にすれば良かった。
あれから30年以上経って、何でもない日々の中でもキラキラした生活は送れているように思う。だけど、その年頃だけが持つ独特の瞳の輝きとは違う。
だからこそ私は、若い人たちを応援したいのかもしれない。
情熱が消えるとき
キラキラ、というより、ギラギラしていたかもしれないCharの追っかけ時代。高校1年の時にグッとのめり込んだが、実は1年ほどしか続かなかった。
ギターの生演奏に腰が抜けるほど感動して以来、容貌は好みではないのに夢中になって応援していた。追っかけをしていると自然と顔見知りが出来、気が合いそうな子と友達になる。ある日、一人の子が「Charの家を見てみたい」と言うので、軽い気持ちで一緒に戸越銀座へ行った。
Charのお母さんは開業医で、道のあちこちにファンがうろうろしているのも目印になり、竹中医院はすぐに見つかった。知ってる顔もいないようだし、無用の衝突を避けるために、二人で電信柱の陰に立っていた。偶然会えたらいいな、そんな気持ちで。
少し経ったとき、周囲がザワザワとして、蜘蛛の子を散らすようにファンたちが走り去った。Charの自宅から怒ったお母さんが飛び出してきたのだ。私たちも走って逃げたが、曲がった角の先が行き止まりで、お母さんに追いつかれてしまった。
強い口調のお説教は「迷惑だって分かるでしょ」から始まった。その通りだから、黙って俯くしかない高校生二人。
「うちのチャーちゃんはね、アイドルじゃないのよ。アイドルの家族なら『応援してくれてありがとう』って言うかもしれないけど、チャーちゃんはね、アーティストなのよ」
と締めくくりにそう言われて、二度とうろうろしないと約束させられて、やっと解放されて、二人黙って駅まで歩いた。時計を見たら、1時間以上経過していた。
のぼせていた頭にはちょうど良い冷水だったようで、私はファンクラブを脱退した。
第1回ファンクラブの集いの抽選で当たった“Charが着用していたGパン”は、他のファンの子に2000円で売ってしまった。
