【つ】つみきと水流家と筒井康隆

そういえば

積み木やレゴなどの何かを創作する遊びは、それほどしなかった気がする。子どもたちも、好きではあったけど、こればかりに夢中になってる感じはなかった。プラレールやシルバニアファミリーのような、見立てるものが好みだったかも、と気づく。読書もそうかもしれない。

幼少期にたくさん身体を動かすことや、いろいろ創造することが大切であることは私もよく分かる。ただ、集団生活の中である程度機会を与えられているなら、家に帰ってからは好きなように過ごせばいいと考えていた。

怪我や事故には気をつけたけれど、栄養バランスを気にすることもなく、将来に良かれと思うことをさせるでもなく過ごしてきたら、比較的自由な人たちが4人出来上がってしまった。

いつか子どもたちを社会に返すその日まで、大きな手から預かっているとずっと考えていたけれど、その割には丁寧でなくてごめんなさい、という気分。

「お母さんって放任主義だよね」と子どもに言われたことがあるけれど、主義ではなくて放任しちゃった感じだ。

プラレールに夢中な孫(2011年)

水流家の人々

私の旧姓は“中田”で、“水流”は別れた夫の苗字である。離婚してもそのまま使い続けられると知って、書類を出した次第だ。

子どもたちが“水流”姓を名乗るのに私が違ったら面倒臭いことが多そうというのが一番の理由だが、苗字そのものを気に入っているのも大きい。水が流れるって美しいし、自然を感じるから。

名刺交換の際に「珍しい苗字ですね!」「初めて見ました!」「これは読めないですね!」と、ビックリマーク付きで挨拶されることがとても多い。覚えてもらえるという意味でも有効なのだ。

この後「どちらのご出身ですか?」「どの地域に多いんですか?」などと、話題のきっかけとして食いつかれたら「鹿児島に多いらしいですよ」とサラリと答えるようにしている。けっこうしつこい人には「別れた夫の苗字でして、夫は嫌いになっても苗字は嫌いじゃないので使ってるんです」と満面の笑みで答えると話が変わる。

子どもたちはよく「水流家の人々」という言葉を使う。「水流家の人々はさー、そういうこと言わないよね」とか「水流家の人々は少し変わってるからー」とか。何らかのカテゴリーなのだ。

良識を持って愛情深く育てられた長男のお嫁さんも、今はれっきとした水流家の人々なので、“ちゃんとしてる”と“変わっていてもOK”のダブルスタンダードになっていくのかな。最強かもしれない…。

2018年の水流家の人々

憧れは七瀬と自由と

穂村弘さんや川上弘美さんの作品が本屋で目立つように並べてあるのを見ると、少し変わったものが好きな人って案外と多いよね、と思う。村上春樹さんのファンの多さを考えると、普通って何だろうとも思う。

学生時代、筒井康隆さんの小説を夢中になって読んで、『家族八景』の七瀬のような超能力者に憧れた。今もし隣に七瀬がいたら、心から受け入れたいのだ。太古からの生存本能が「未知は危険」とシグナルを鳴らしたとしても、目の前に存在することは既に未知ではないのだから。

学校を卒業してからだったか、ラフォーレ原宿のこけら落とし公演で観た『ジーザスクライスト・トリックスター』は実に面白い作品だった。作者の筒井康隆さんが主演を務め、ピアノを山下洋輔さんが弾くという贅沢さに興奮した。

芝居の中の全てが自由だった。

表記などを巡る争点は別としても、断筆をとやかく言われるのは意に沿わなかっただろうなと、自由だった康隆さんを思い出している。

※画像をお借りしてきました

ちょっちょ
いま世田谷文学館で開催されている「筒井康隆展」。行ってみたいと思いながら日を逃してしまいました…

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ちょっちょです。
4人の子どもと4人の孫に恵まれましたが、パートナーはおりません。たくさん笑って、たくさん泣いて、たくさん楽しんで、たくさん悩んだ波瀾万丈な人生。まだまだ面白がろうと思っています。
私が感じていることが、どなたかの心に響けば幸せです。

※万覚帳(よろずおぼえちょう)とは、まだ余白がある帳面のことです。雑記帳、メモ帳