【め】迷路と名刺とメアリー・ポピンズ

迷い続けて

ときどき、ふと、

人生は迷路みたいなものだなぁ、と思う。

懸命に歩いた先が行き止まりだったり、

気がつくと元の場所に戻っていたり。

この道がどこに続いているのかも

わからない。

それでも、

いくつかの迷路はゴールにたどり着いた。

 

今は人生における何度目かの迷路。

一歩一歩面白がっていれば、

ある日ゴールはやってくる。

そのとき見える景色が

くすんでいても

輝いていても

私はまたきっと歩き出す。

迷い続ける自分を

こんなにも受け容れているのだから。

2015年ぐんまフラワーパークの光の迷路です。ちゃんと出られて今ここに私が。

一つずつ花開いて

昨年2018年に、会社にパラレルキャリアを申請した。面白そうな道を、堂々と歩いてみよう、という感じ。

許可が下りたあと、私はPoints of You®︎の名刺を発注した。

Points of You®︎の名刺は、裏面をカードから選ぶことが出来る。黄色い花の写真は、先輩のトレーナーから「つるさんのイメージ」と言ってもらったもの。

明るく思い切り咲いている花のまわりに、これから開きそうな蕾と、まだ固いままの蕾がある。背面の濃いグリーンも豊かな慈愛を想像させる。

100枚頼んだ名刺がそろそろ無くなりそうだ。ほとんど友人に配ったとはいえ、それだけPoints of You®︎を語ったということ。

そして、計算式だけでいえば3日に一度は誰かと会っていたことになる。10ヶ月で100枚はそんな数字。

ちょうどいいなぁ。

このスピードはちょうどいい。

名刺の裏面です。

私の一番

私が一番好きな本は『風に乗ってきたメアリー・ポピンズ』である。迷路を歩いているような気持ちを初めて感じた小学4年生のとき、この本に出会えたのだった。

私の母は、情に厚く気風が良くまあまあモテて。シングルだからモテることに問題はなかったのだけれど、母親の恋愛というのは子どもにとってはいささか居心地の悪いものだった。

ただ、そうはいっても、私は母のことを親というよりも一人の人間として見ていたので、不満があったわけではない。

気に入らないのは母に好かれたいオジサンたち。「俺が教育してやろう」ってな態度の威圧的なオジサンもさることながら、「由美子ちゃん、好きなおもちゃを買ってあげるよ」とおもねるオジサンが不愉快だった。

それにも増して嫌だったのは自分自身だ。子どもらしくおもちゃを喜ぶでもなく、子どもっぽく不愉快をあらわにするでもなく、だからといって大人を気取って愛想よくするわけでもなく。

中途半端な自分が嫌だった。

そんな時にメアリー・ポピンズに出会ったのだ。

映画『メリー・ポピンズ』のジュリーアンドリュースは朗らかな場面もあるけれど、原作のメアリーはとにかく笑わない。機嫌のよい顔をしない。媚びない。

最初は、摩訶不思議なことを起こせるのがメアリーの強みで、だからこそつんけんしていても関係が成り立つのだと思っていた。けれど、何回も何回も繰り返し読むうちに、不思議なことも素晴らしいけれど、もしメアリーが何も出来なくてもジェーンとマイケルはメアリーのことが好きになっただろうと思うようになった。

そのことが、自分の言動に苛立っていた私にヒットした。「私は、愛想よく出来ないんじゃなくて、愛想よくしたくないんだ。愛想なんかよくなくても、分かってくれる人はきっといる」と。

いま考えてみれば、都合の良いこじつけとも思えるけれど、当時の私にとってメアリーの存在は救いだったのだ。

空想好きで感情の起伏が激しくそばかすだらけの私は『赤毛のアン』に自分を重ねることもあったけれど、戻るのはいつもメアリーへ。

世の中は可能性と愛に満ちていて、それに気づくのは自分自身なのだと教えてくれる。

オウムの柄の傘は、無くすのが怖くて使えません…

原作だけでなく映画の『メリー・ポピンズ』も私の一番だ。『ウォルト・ディズニーの約束』を観てますます好きになった。

楽曲の素晴らしさは、2018年3月に日本で初演のミュージカル『メリー・ポピンズ』でも堪能。次の公演を心待ちにしている。

シアターオーブにて。嬉しくてたまらない状態

ちょっちょ
原作の訳は“メアリー”、映画や舞台は“メリー”。無理に統一しないのが良いなぁと思ってます。

1 個のコメント

  • ちょっちょさん、落ちが笑えなかったのは個人的に寂しい気持ちもありますが、真面目なコメントも時に必要なこともありますので、そこら辺のおじさんと思わないで読んで下さい。(,,>ლ<,,)大丈夫かな…これだけ、知的な人だとある意味、天気:にわか雨 現在の気温:17.6° 温度:23.4°/15.9° 降水:69%
    なんて綴ってたり。
    ( ∩'-' )=͟͟͞͞⊃)´д`)はい!

    まず、迷い続けて、1つづつ花開いて、私の1番、ゆっくり、丁寧に拝読して、ない頭で感じ取り、コメントさせて戴きます。

    全体的にまともながらですが、目を使って読んで下さい。

    なんか、新しいことになのか、チャレンジ中なのか、今までの歩方なのかわからないのですが、迷路は今まで迷い、ゴールにたどり着いた。
    自分も人生歩、毎年1つひとつ歳を重ねるわけですが、年輪が加わって来た今思うことは、進む方向は2つあるように感じてます。
    ひとつは高い山に登って行く、ひとつは低きにつくという方向。
    ちょっちょさんのブログを拝読した感じで語れば、いい意味で、欲がある生き方をしてると感じるんです。
    名性欲や、事業欲、趣味、そういった自己を磨く努力が、いっこうに衰えない。
    まだまだ、山の頂上を目指し登って行こうという向上心を失わない。
    一方こんな気持ちから、人は、年を取るに従って、質の高い仕事をして、心ある人から評価されたい、って思うような人もいる。
    そんな人は、また違う山を目指すでしょう。

    自分がブログを通して感じるあなたなら、迷路で、もし、今何か感じることがあり思ってるなら、ゴールは素晴らしいゴールになると思いますがね。
    自分を自分が邪魔しない限りね。

    お母さんの周りの人の話し、なんとなく理解してコメントしますが、リア充に人を見て感じる感性は正しく感じました。
    ただ、お母さんを添い遂げたく必死感は感じますが、ちょっとデリカシーがないと思うちょっちょさんの今の考えと、その当時の気持ちは十分理解できましたね。
    お母さんをこんな人に取られたくないって思う防衛本能もあったかも知れないと感じた。
    そして、自分の分析は、そんなふうに思ってたんだなと感じたんだけど、打破する人に出逢い良かった。
    ちょっちょさんは、自分なんかより、想像力があると感じるんですよ。
    想像力豊かな人は、相手の気持ちを理解できるから、優しを感じてると思うんです。

    人生をおもいっきり楽しむ」や「いい人生だったと言えるように生きる」や「夢を持ち続ける」や「人や社会に貢献する」や「幸せに暮らす」
    信じたら安心して終りでなく、信じた次の瞬間に力強く行動することやってますよね。
    明日の幸せを信じて、幸せになる生き方を実践することが重要だと思って実行してまよ。
    ブログを見る限り。
    自分の生き方を持つということは、自主的に生きるということですよね。
    自主的に生きることが幸せを感じられる生き方の基本なのだと思うんですがそう感じてるから周りの人は、好きなんですよ。
    リア充でお会いしてる方は理解してますよね。
    自分で感じませんか。
    文字で語る以外に、自分も1度会って価値観や、愛想笑しなくても話ししてみたいなと感じますからね。
    出会った時から、ちょっちょさんの考え方を今日まで黙ってみて寄り添ってきた自分も変わらず、あなたの生きるは好きですよ。
    自分の話しになりますが、友達によく言ってたんだけど、
    「運命共同体って良くない?」
    「(○‐○)エツ?なにそれ」
    学生時代や同じ本を読んで、語りあうことは、成長過程において大切なプロセスだったでしょう?
    でも、人間としての共通の目的が少しづつ失われ、多様化して、個人個人の手にすべて委ねられてるような気もするし、かと言って、それぞれの人間が自分で生きていくための目的を構築することは簡単なことではない。
    それが大変なことだからこそ、なにか「共通の目的」を考えるのも必要なんじゃあないかなと思うんだけどね。
    「運命共同体」共同感かな、同じ運命を耐えていくような仲間、たとえば、1隻の船に乗りあわせて、激しい嵐をくぐり抜けていくような人間同士は、ある種の運命を共有した気持ちを持つ、そんな「運命共同体、感」大事だなと思う。
    母方の父親、祖父が子供ながらに感じていたことがあって、ある日、母に聞いたことがあったんです。
    「なんで、おじいちゃん髭剃らないの?」
    ( ˙灬˙ ก)鼻の下に髭があり、聞いたら。
    「あのね、戦友のこと、あと、あんな辛い体験を2度としないだろう。あの辛い体験を忘れず、どんなに辛いことも乗り越えて行くように、戦友と辛い体験を忘れずにいる思いで戦地からあそこだけは剃らないで生きる糧にしてるのよ。」そんな思いを聞いたあと、大人になって考えたことが、運命共同体、感かな。
    祖父がお墓の石をどう思って買ったか、人の生きてきた背中、足跡を考えて思いついた運命共同体、感。
    他人が自分の家族のように、まるで自己の、1部のように拡大して感じられたその時の話しだった。
    スポーツ観戦や映画や戦ってる選手に主人公に自分の運命仮託してる時あるでしょ。
    連帯感を感じてるはずだと思うんだけど。
    あくまでも、バーチャルな運命の連帯感だけどね。(笑)
    バーチャルな連帯でなくて、「運命共同体、感」生きていくなかで、自分で見つけなきゃならないような気がする。
    それを実行に移す、移そうとしてるちょっちょさんは、そんなふうに感じなくても皆好きだから大丈夫ですよ!(笑)
    あんまり自分邪魔しないでって、読んだら深く息吸って自問自答してみて?
    リア充ではわからないから失礼なこと言えないけど、愛想笑しなくて、笑ってるように感じるけどな。
    自然に。
    会ってもないのに、想像や妄想で思ったり、してはいけないですが、自分はそう感じてます。(笑)
    名刺の手渡しにもそれが十分できてるじゃあないですか。
    いつか一枚頂ける自分にもなりたいので、負けず向上心をもち、更に自分磨きしようかと思います。

    ちょっちょ、レベル高いから無理かな
    (。•́ו̀。)←真面目顔

    最後に、ちょっちょさんに

    迷路とは、地図のない旅へ出発しようとするちょっちょさんへ
    あらためて旅立ちの合図と挨拶を送らせて下さい。

    これからも

    どうぞ良い旅を!٩(ˊ•͈ω•͈ˋ)و⚑⁎∗エイエイオ~♡

    追伸☆…φ(..)なにを言いたいか理解して頂けるといいけど、まとまってるかな、ない頭で心精一杯綴ったことだけ理解して下さると幸いですマル(¬¸¬)ボソ

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    ちょっちょです。
    4人の子どもと4人の孫に恵まれましたが、パートナーはおりません。たくさん笑って、たくさん泣いて、たくさん楽しんで、たくさん悩んだ波瀾万丈な人生。まだまだ面白がろうと思っています。
    私が感じていることが、どなたかの心に響けば幸せです。
    Ally(アライ)であることを表明しています。

    ※万覚帳(よろずおぼえちょう)とは、まだ余白がある帳面のことです。雑記帳、メモ帳