【り】リンゴと陸上部とリンダ・マッカートニー

手間を惜しまず

とんでもなく不器用なため、皮を剥く果物と疎遠になりがちである。子どもが小さいころはウサギの林檎を作ったりしていたが、林檎はここ最近はほとんど買うことがない。

いちごやバナナやキーウイ、桃が楽で、ぶどうも最近は皮付きで食べられるものばかり選んでいる。

朝バナナを食べることが多いんだけど、林檎も剥こうかなと安野さんの絵を見ていて、ふと思った。

美味しいもんね。

こんな飾り切りができたら楽しいだろうなぁ。※画像はお借りしました

リレーは苦手

レモンの蜂蜜漬けを初めて作ったのは高校3年生の時だった。

箱根駅伝の予選会の応援に行って、大好きな先輩にタッパいっぱいのレモンの蜂蜜漬けを渡したら、「こんなにたくさん誰が食べるの?」と本気で呆れられた想い出。

高校の陸上部に指導に来てくれていた先輩を好きになって、時々大学の練習や試合を見に行っていた。

先輩の通う大学は、当時は箱根駅伝はかなり遠い目標で記録会の意味合いを兼ねるものだったと思う。だからこそ少し気楽な気分でレモンの差し入れが出来たのだった。

高村光太郎でもなく、さだまさしでもない、私だけの檸檬の想い出。

私自身は短距離走が専門で、校内では速くても大会に出るとたいがい準決勝止まりという成績だった。それも200mに限って。走り幅跳びは、中学1年のとき中野区総体陸上で4位だったが、高校では練習場所がなく全くやらなかった。

団体競技を避けて陸上部に入ったのに、入るなり「リレーに入りなさい」とお達しがあった。2年生3人に加わる形で、常に気遣いが必要な最も苦手なパターンである。朝も昼休みもひたすらバトンの練習で、右手は見事に腫れ上がった。オーバーハンドパスを有効にするにはたくさんの練習が必要なのは分かっていたものの、とにかく痛くて辛かった。

リレーだけは賞状をもらう成績を残しているが、一度試合でバトンミスをしてしまい、その後一週間以上リレーの先輩たちに口を聞いてもらえなかったときは精神的にきつかったなぁ。

今考えると、私も可愛げのない後輩だったのだ。謝り方や接し方が違えば、もっと違う関係性になれたのではないだろうか。

いろいろなことが学びとなり、今につながっているなぁと思う。

身体が硬いので、すぐに上半身があがってしまう下手くそスタートが私です

The Lovely Linda

高校時代、ウイングス初来日で成田に到着したポール・マッカートニーが麻薬所持で逮捕されるというショッキングな事件があった。

陸上部の後輩のお父様にお願いして、やっとの思いでチケット取れていたのに…。涙ってこんなにでるんだなってくらい泣いた。

生のポールには、大人になってから会う(コンサートを聴きにいく)ことが出来たが、生のリンダには会えないままになってしまった。

【へ】のブログでも書いたが、中学時代ごく親しい友人たちにだけは、私はリンダという名前で手紙を書いていた。もちろんリンダ・マッカートニーのリンダである。

ロック・ミュージシャン専門の写真家として有名で、離婚歴があり子どももいる身でポールと出会い結婚し、ポールに望まれてウイングスに参加。知的で自立していて、ポールにすごく信頼されている唯一無二の存在であるリンダは、今でも私の憧れの女性である。ポールが動物愛護に熱心でベジタリアンなのも、リンダの影響だと言われている。

記念すべきソロアルバム『マッカートニー』の一曲目は『ラブリーリンダ』。

世紀のスーパースターであるポールの代表曲と言われる『My Love』もリンダに向けて書かれたもので、美しく切ない名曲だが、私は実名入りのこの曲のほうが実は好きだ。

短い詩と鼻歌のような曲に愛情がギュッと凝縮されていて、何気ない毎日の中にこそ幸せがあるのだと教えてくれる気がする。

今の私より1歳年下の56歳で亡くなったリンダ。自分が追い抜いてしまったことも、なんだか切ない。

2013年の東京ドーム。ポールに会える喜びで顔がテカテカです

ちょっちょ
【り】はリンゴ・スターもいるけれど、誕生日も一日違いだけど、やはりリンダで(^_−)−☆

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ちょっちょです。
4人の子どもと4人の孫に恵まれましたが、パートナーはおりません。たくさん笑って、たくさん泣いて、たくさん楽しんで、たくさん悩んだ波瀾万丈な人生。まだまだ面白がろうと思っています。
私が感じていることが、どなたかの心に響けば幸せです。
Ally(アライ)であることを表明しています。

※万覚帳(よろずおぼえちょう)とは、まだ余白がある帳面のことです。雑記帳、メモ帳