【わ】輪投げと割り勘と若尾文子

神社での運試し

川越の熊野神社に輪投げがある。運試し輪投げというもので、川越観光する友人たちを連れて行くことが多い。

初心者と経験者で差が出にくいものは、大勢で遊ぶ時に向いているのではないだろうか。得意な人がいたらいたで盛り上がるし、入らなくてもどうってことないからである。

境内で輪投げをしていると、しょせん運なんてこんなものなんじゃないかと思う。入ったら嬉しいが、入らなくても楽しい。そして入らないほうが圧倒的多数だ。
人が成功したのを見て一緒に喜べるのも良し、悔しくてリベンジしたくなるのも良し。輪投げが主役ではなくて、投げる人たちが主役なのである。

川越にお越しの際は、熊野神社にもお立ち寄りあれ。

今年の春、娘が投げた輪が不思議な場所に引っかかった時の写真。そばにいた見知らぬ人が「玉の輿に乗れるんじゃない!!!」と大絶賛

下戸の言い分

縁日の輪投げや射的は技術が要る。不慣れな人が「自分でも、もしかしたら上手くいくかも…」と思わせるところが商売である。遊んだうえに景品がもらえる(かも)というのは、人の心をくすぐるものだ。

飲み会などは美味しい飲み食いもさることながら、“楽しい気分”という景品が実はメインではないだろうか。お酒が飲めない私が飲み会に参加したくなるのは、仲の良い人と楽しい時間を過ごしたいからだ。

飲めないのは私の都合なので、当然完全に割り勘にしてもらいたいのだが、ソフトドリンクとアルコールの金額の差を気にして、少し低めに按分してくれることもある。気遣いに感謝して言われた通りにするが、私は同じ金額が嬉しい。下戸であることは少し寂しいのだ。
「安くて当然。同じ金額なんて!」と憤慨する人もいるようなので、“私は”と限定しておくことにしよう。

そういえば、大勢でない時も“奢られる”というシチュエーションが苦手である。対等意識が強く意固地な性格のせいだとずっと思っていたのだが、どうやら根本は違うところにあると最近気づいた。

プレゼントなどもそうだが、どうやって感謝を示せばよいのかよく分からない。というか、上手く感謝をあらわせられる気がしない。不器用な自分を認識するのが嫌なのだと思う。
このことに気づいたきっかけは「この人には感謝は伝わっている」と思える人になら楽なんだと分かったからだ。素直になれる関係は本当に有り難い。

私の幼なじみの一人は、私の性格と考え方を熟知していて、そのさじ加減が絶妙である。「ご馳走させて」と言ってくれるので、「そうかそうか、苦しゅうない。ご馳走させてやろう」となる。なぜ殿様キャラになるのかは不明。

先日ご馳走させてあげたアヒージョ。感謝

勘違いも甚だしく

殿様でも姫様でもない私だが(ちなみに奥様でもお嬢様でもない)、ちょっとした憧れはあるのかもしれない。

我が家はテーマを出して話し合うのが好きなのだが、正月に掲げる『今年の目標』に、一時期私は「今年は若尾文子になる!!」と言い張っていた。

なれないのは分かってるんだけど

子どもたちからも呆れられるんだけど

楚々としているのに情熱的で知的で、
若尾文子さん、大好きなんだもの。。。

5年以上言い張っていたのだけれど、あまりにも不評なので樋口可南子さんに変えてみたら、これもダメらしい。

10年ほど前に「蒼井優はどうだろう?」と恐る恐る聞いてみたら、呆れられるどころか怒られて即時撤回を要求された。すごすごと引き下がる私。そういえば、それ以来は決めていなかったなぁ。

「今年は、(ピーーーーーー)さんになる!!」

はっ、勝手に自主規制が。。。。。

こういう本があるのを知りませんでした。読んでみたい

ちょっちょ
「◯◯さんになる!」というのは、その人のようになるためにコツコツ努力するということではなく、ある朝、目が覚めたら◯◯さんになってるといいなって意味で。まあ、念みたいな?

ABOUTこの記事をかいた人

ちょっちょです。
4人の子どもと4人の孫に恵まれましたが、パートナーはおりません。たくさん笑って、たくさん泣いて、たくさん楽しんで、たくさん悩んだ波瀾万丈な人生。まだまだ面白がろうと思っています。
私が感じていることが、どなたかの心に響けば幸せです。
Ally(アライ)であることを表明しています。

※万覚帳(よろずおぼえちょう)とは、まだ余白がある帳面のことです。雑記帳、メモ帳